映像化されない思考は混沌の極み。

いつも、何かしらか考えてる。

考えていることを意識しないから考えている認識は薄いが。

明晰夢の感覚のように、ふいに現実世界の中で思考していることを認識することがある。

まさに、「眠っている時の夢と同じじゃん。」と思った。

 

脈絡なんてなくて、反射に近い形で思考してる。

自動的に。

ずっと演算して答えを出そうとし続けてるんだな。

 

時には、問題さえ作り出しながらね。

思考の流れを認識してみると、続き物もある。

大きなテーマのものもあれば、次食べるご飯の内容の時もある。

 

みんな、そうしながら暮らしているのだと考えると、なんだか人間ってかわいらしいと思えた。

一生懸命自動的にどうでもいいことや深いことを考え続けて答えを出そうと頑張ってる。

主に、脳が。

 

そのことに気づくこともなく眼の前のことでいっぱいいっぱいになってんだ。

なんてちっぽけで愛おしい存在。

 

猫が好きな理由も結局そうなんだ。

眼の前のことに翻弄されてばかりで何度でも引っかかってしまうし。

それでも自分らしさを失わずに思うがままに生きる。

喜怒哀楽のようなものを人間は勝手に感じてる。

猫は表情や行動に出ているように思う。

そんな姿が愛おしくて、いつも見習いたいと思う。

 

思考しているものが全て映像化されたら混沌としているだろうな。

だけど、その色味やダイナミックさを見てみたい。

人によって大きく個性が違いそうでいい。

見たこともないようなカオスがそこにあるのかな。

 

無意識で答えの土台を脳が自動的に作ってくれてるから、意識して思考した時に辿り着きやすくなっているのかもしれないと思ったよ。

ありがとう、脳。

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