望んだ姿になるだけだ。

「自分だけのもの」に憧れた。

子どもの時。

自分だけの場所、自分だけの物。

誰にも譲らなくて良くて誰にも脅かされることのない。

 

一時期、自分のケチなところが嫌だった。笑

きっと、十分に持っていたなら渋ったりイヤイヤ渡すなんてこともなかったんだろうな。

なんだかすごくちっぽけで小さくてセコくて。

 

今なら分かる。

絶対数が違う。

普通の人が普通に持っている普通のものの数と自分が持っている数。

 

価値というのは相対的なもので、たくさん持っているものに対しては執着は生まれにくい。

困るのが、必要だと思っている数が人それぞれ違うという点。

同じ個数を持っていても足りないと思う人もいれば十分だと思う人もいる。

 

様々なものに飢餓感を感じていたのかな。

そういう人の感覚が極端になった時に、ケチとかセコいという形で表面化するんだろうな。

 

客観的には、何もかもそんなに足りてないことはなかったと思うんだ。

一種の心の病ともいえるのかな。

心の飢餓感。

 

ずっと追いかけ続けているように思う。

自分だけのもの。

誰にも邪魔されず脅かされない場所や生き方。

 

自分らしさ、自由、そういったものもずっと渇望してる。

昔からずっとずっと。

自分らしくいられないと心が苦しくなるし、自由を感じられなければ生きてる意味の大半が失われたような気持ちになる。

お金よりこういったものを選び続けてしまうから、いつまで経ってもお金がないんだろうな。

 

お金を自分らしさや自由に使っているともいえる。

お金になる前の段階で選択して。

お金の前になるもの、つまり「時間」。

 

時間は労働に使えばお金に変換できるし、お金に変換せずに直接「自由」や「自分らしさ」に変換することができる。

一度お金に変換して、そのお金を自由や自分らしさに変換していない状態といえる。

 

選べない状況では、自由と自分らしさを犠牲にしてお金を得るために働いてきた。

その度、心がキリキリと軋んだ。

負荷がかかった木材のようにいつ割れてしまうかわからなくて恐かった。

 

そういう性質の人間なんだなと思った。

短所も長所も特性も、一度「そうなんじゃな。」と飲み込むようにしてる。

そのうえで付き合っていく。

自分自身とは。

 

どんなふうに仕事をするか、仕事中も自分らしくいられることを大切にしてる。

自分の心を殺さなければ成立しない仕事はしないようにしてる。

最後の最後まで。

少々、単価が安くてもストレスフリーなら全然いい。

 

だから、「嫌な奴」とは仕事しない。笑

仕事内容以前に、嫌いだと感じる人や違和感を感じる人に関わらないようにしたい。

ろくな話にならないしな。

 

実際、いくつか受けてる仕事の中には、単価は安いけどストレスが少ないから継続しているものもある。

中でも、修正ありきのものが嫌い。

納得いくものに関しては「申し訳ない」と思うけど、納得いかないものや修正の頻度が高いものに関しては、合わないんだと感じる。

合わないところで継続すると相手にも迷惑かけるからな。

こちらで判断するようにしてる。

 

最近では、ウェブライターにこだわらずストレスの少ない仕事を選びたいと思ってる。

去年くらいから取引してるウェブライターじゃない内容の仕事も続いてる。

 

人は望んだものになるんだ。

合わないことでも我慢してやらないといけないと思って生きてれば、そんな未来が待っている。

自分らしく生きると決めていれば、そんな未来が待ってる。

 

他人に理解されるかどうかで判断するんじゃなくて、自分はどうしたいのか。と、自分自身に聞く。

状況によってはその判断が難しいこともあるけれど、本心を誤魔化さずに「そうなんだね。」と聞く。

 

そんな自分自身との対話の中で一つ一つのことが決まっていく。

他人から自分がどう映るかなんてよくわからない。

唯一、本当に理解できるのは自分自身の声だけなんよな。

自分以外の人のことは、自分のことじゃないからよくわからない。

だけど、わかりたい。

だから自分に置き換えて考えてみるけれど、自分と自分以外の人たちの感覚が違いすぎて分かりにくい。

その結果、一般的にどうかということに照らし合わせたり心理学的にはどうか考えてみたり、たくさんの人達と関わって積み上げた経験の中からどういう答えになりやすいかというので判断しているように思う。

そうして社会と付き合っているのだと思う。

 

器用なのではなく、見えないところで圧倒的に練習したり過去のたくさんの失敗から結果を導き出してるにすぎない。

この工程自体がAIっぽいとよく思う。

何も知らなかった頃から、生きる中でディープラーニングしてきた。

その結果を出力しているような感じ。

 

できないことはやろうとすればできると思ってたけど、その過程の努力が気にならなかっただけだった。

なんでも人並み以上にできると思い込んでたけど、本来は不器用で能力は人並み以下なのかもしれない。

特定の分野において、人並み以上に行動するから、そりゃ行動に見合った結果なら誰でも出るよね。っていう。笑

 

「なんでもできる自分」じゃないといけないと思っていた過去より、「できないことがあっても好きなことだけ特化して上達するならいいじゃん。」と思う今のほうが楽しい。

望んだ姿になるだけだ。

意識的にも無意識的にも。

自分らしさを追求し、自由を追求し、その結果生まれるワークスタイルやライフスタイル。

 

自分の感覚を大切にして結果を出したい。

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