すごいこと(※自称。笑)をやって注目を集めて話しかけてもらうという、少々こじらせがちな方法で繋がりを作ってきた過去がある。
自分から話しかけられないから興味を持ってもらって話しかけてもうらという作戦。
なんとも稚拙な発想ではあるけれど、当時の自分にとっては精一杯だった。
まったく他人に話しかけられないのに、それなりに関係性を作ってこれたのは、そんな自分に話しかけてくれた人がいたからだった。
時は経ち、現在、誰でもすごいことが簡単にできる時代になってしまった。
井の中の蛙でさえいさせてもらえない時代。
インターネットがあるからね。
スマホの中では、日々、すごいことのオンパレード。
自分がやってることがとてもチープに思えてさ。
すごい人なんていくらでもいる。それをプッシュ通知でお知らせしてもらえる時代だ。
求めなくても勝手にね。
「これはあれを使えばすぐできるし。。あれも難しくはないよなぁ。。」
詰んだ。
「すごいこと」ができない。。
それからすごいこと、すごそうなことをやろうとすることから遠ざかっていたように思う。
本当にどの世界にも変態的にすごい人がいる。
超絶技巧で勝てるとは思えない。
一昔前の歌詞ではないけれど、ナンバーワンじゃなくオンリーワンを目指さないといけない。
たとえ、何かでナンバーワンになれたとしても、安心なんかできない毎日が待っているのは目に見えてる。
いや、何かでオンリーワンになれたとしても、すぐに真似される可能性があるのか。
そう考えると、真似できないようなことをやれないといけないということなのか。
小手先の技ですごそうに見えることができるのは特技だと思ってた。笑
そこに需要はあるのかもしれないな。
自分が輝こうとするのではなく、輝きたいと考えている人に「こうしたら簡単にすごそうに見えるよ!」って。笑
安易に輝きたい人の味方。笑
自分が興味があることはそれなりに時間を使って調べまくる。
それを簡単に無料で出してしまうことに今でも心がソワソワしてしまう。
小さい自分。
でも、今の時代って移り変わりがめちゃくちゃ早くて少し前の最先端の技術が3ヶ月もすればチープになってしまうことは珍しくないんよな。
そのことをもっと深く理解できれば、この心の小ささは払拭できるような気がする。
大切に抱えていても、その情報の価値はすごいスピードで暴落するんだ。
だったら、一番価値が高いところで出して信用と交換したほうがいい。
頭ではわかってる。
あ、少し話ずれた。
誰でもできるから自分がすごいと思ってることなんて価値がないと思っていたけど、自分が簡単だと思っていることを誰もが簡単だと思っているとは限らないんよな。
だから、自分なりのクオリティを、時には求めてみるのもいいのかもしれない。
すごい人からすれば取るに足らないものでも、疎い人からすればそれなりに見てもらえるのかも知れない。
そうやって試行錯誤している中で、自分なりの方法が見つかることもあるもんな。
「すごい」には2種類あると思ってる。
0からやるすごさと、簡単にすごそうに見せられるすごさ。
0からやるのは時間も労力もかかる。
定期的にすごそうなものを出し続けるには、効率的にやる必要がある。
このどちらもできると面白いよな。
オリジナルを追求するなら0からやれたほうがいいし、気軽にそれなりのクオリティのものを日々だしていきたいなら効率的なほうがいい。
その間もあるだろう。
「こんなん誰でもできるもん。」と、拗ねる必要はないんよな。
なんか、うまく言えないけれど、感じたことを残しておく。
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