写真1枚から生まれる可能性。

「写真を動かす」ということの可能性について日々考えてる。色々調べて行くと、金さえあれば現在の環境でも追加で要素を付け加えるだけで色々できることがわかってきた。

平面の写真に手動で奥行きを持たせるもの、奥行きをもたせた写真をキーフレームなどで動かすことで「差」を表現できる。

奥行きを設定できるということは、どれくらいの距離か設定できればボケも設定できるということ。

この辺りは自動で対応してくれそうな気がするな。

 

AIが見た目で距離や高さを判断できるようになる日はそう遠くないだろう。今、興味を持っていることもあっという間にAIでできるようになると考えると、探求する意味があるのか。。と思わなくもない。

 

でも「今」興味があるなら、今を楽しめばいいじゃんな。

先のことは先に分かるさ。

知識と技術をAIが飲み込んで無効化していくような感覚を持たないわけではないけれど、自分は自分の視点として役に立つかどうか以前に楽しいかどうかでやってみたい。

そうすれば、たとえ「過去の技術」になったとしても、「楽しかったからいっか。」となる。

 

あと、動画の編集と画像の編集ってかなり共通してる部分がある。マスクとかレイヤーとかそういう概念は共通してるしな。

とくに静止画を動かすということに興味を持っているわけだから、どこからどこまでを静止画として加工し、どこからを動画として作るのか。そこもある。

 

たとえば、オーバーレイは最後に動画でかけたほうがいいだろうし、オブジェクトを切り抜く作業が必要なら先に切り抜いてpngなどで保存しておいたほうがスムーズかもしれない。

動画編集ソフト側で深度を調整する際にオブジェクトも調整してもいいだろうけど、より細かく正確に境界部分を切り抜くには画像編集ソフトのほうが優れている可能性がある。

まぁ、ここも最近ではAIを使ってできるものもあるんだろうけど。

 

AIは敵ではなく、やりたいことを効率的にやれるようにしてくれるアイテムだと思ってる。

マイナスに捉えようと思えばいくらでもマイナスに感じることはできるし、現在やってる仕事を飲み込まれてしまう恐怖もあるけれど、それ以上に新しい仕事を作ってくれる可能性を感じるし、めんどくさいことを変わりにやってくれる恩恵のほうが大きいように思う。

「作業」を任せることができれば、よりクリエイティブな部分に自分の思考を使える。

このクリエイティブな思考の部分さえAIに代替できてしまうわけなんだけど、一貫した個性というものは人生を通じて構築されたものなので、癖も含め自分という個体を使うといいと思ってる。

代替できるかもしれないけれど、自分がやりたいからやる。選択できるわけだ。どこまでいってもね。

 

何も決めたくない人はすべてを任せることもできるし、AIのほうが上手にできたとしても自分でやりたいとこは自分でやってもいい。そんな自由が待ってる。

だから今は不自由を楽しもう。

未来から見れば、もしかしたら「不自由」こそ最高の贅沢なのかもしれないのだから。

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