ゴミの日に感じたこと。

先日、たまっていたゴミを捨てた。その時に思ったこと。

ずっと目の前にあって煩わしかったゴミも、ほんの10分もかからずに捨てたらスッキリするもんなんよな。

そのことから、目の前にある問題のほとんどは無意識のうちに放置しているだけのものなんじゃないかと感じたんよ。

 

本気出せばすぐにでも解決できるようなことをダラダラ先延ばしにしたり放置したりするのはどう考えても論理的ではない。

それでもやってしまうのには理由があるはず。

 

学ぼうとしてるんじゃないかと思ったんよ。

経験しようとしてるとか。

 

人の欠点は、すべて学ぶためのものなんかなって。

自力でも解決できるはずなのになかなかできないと思いこんで、やらない。

でも、いつか限界が来て解決する日がくるんよな。

そう、煩わしいゴミのように。

 

難しいことは、難しいと感じることこそが難しいものが存在する理由なんかもな。

思考を巡らせ、立ち止まる。

そのことに価値があるのかも。

嫌だし落ち着かないけれども。

 

あと、願望も含まれてるように思う。

たとえば、俺はよくピンチにおちいるわけなんだけど、「誰かに助けてもらいたい。」という願望を叶えるために無意識にピンチに陥ってしまっているんじゃないかと思うことがある。

わざとやってるわけじゃないよ!笑 それは誓う。だって、一番自分がキツイから。笑 いやだよ、ピンチなんか。笑

 

生活費を稼ぐことだけをやればピンチになってしまう頻度は確実に減る。でも、やりたいことがあるんよ。やりたいことをやりながら生きる自分を、自分自身許したいし周りにも許してほしい、その無意識の願望が定期的にピンチを現実世界に作り出し、確認作業をしているんじゃないかと。

 

たぶん、必要じゃなかったらさっさと自分で金稼いで終わりなんだと思う。何度も同じような経験をして殻を破ろうとしてんのかな。

そんなふうに思うから、大変なことも極力受け入れて立ち向かうようにしてる。

 

体験している時はキツイけれど、人生が終わる間際に振り返った時に、大変だったことほどスパイスになって味わい深く感じるんだろうな。

あれはキツかったwwって笑えるんだろうな。

そして乗り切った自分を誇らしく思い、助けてくれた人たちに改めて感謝するんだろうな。

ひとりひとりの顔を思い浮かべながら、できるだけ正確に声を思い出してさ。

 

完璧じゃないから関われる余白が生まれるんかな。

もし自分が完璧な人間だったら、驕って感謝の気持ちなんてもてないと思う。

一人の力ではどうにもならないような経験をしたからこそ、感謝の気持ちが深くなったのを感じる。

 

ダメダメな自分でもいいんよ。根底にそこを持ちながら、ダメダメな自分でもいいけど成長したいと自然に思える感じが好き。

成長を義務と感じたらつまらないからね。

成長したければすればいいし、したくないならしなくてもいい。

それくらいのゆるさが、自分にとってはモチベになるんだ。

押し付けられるのなんてウンザリだからね。

だから学校とか相性悪いわな。笑

 

ほっといても必要なことをガンガン調べて吸収するのに、押し付けられたらやる気なくして楽しくなくなって布団に潜り込んでふて寝するしかない。

おもしろくないもん。って思いながら。

 

面白かったらどんどん自主的に勉強するよ。それこそゲームの仕様など、一切他で使えない知識だってガンガン勉強しちゃう。笑 謎知識ばかり増えていく。。そういう偏りが面白い。ヘンテコな人間になるのは楽しい。

 

誰もがのびのび個性的に独自の考えを持って生きていけたらいいなぁ。そのうえで、関わる時は極力お互いを不快にさせないようにと意識できればいい。

譲れないところはお互い譲れない、そしたら不要な議論も対立も生まれない。

無理なものは無理、それでいいじゃんという考え方。

そのうえで好きだと思えるなら距離感を調整すれば結構いけると思うんだけど。

 

建設的な会話は好きなんだ。「それいいね。」みたいな。そういうのばかりしてたいなぁ。

ゴミを捨てただけで色々考える。笑

頭が忙しいね。

ゴミを捨てたのは先日の話なので、忘れないうちに残しておく。

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