孤独を引き受けられない人は本当の関係性を構築できない。

誰にとっても孤独は恐いもの。自分の弱さを認めることや不甲斐なさを本当の意味で認めることも。

ネット上でよく見かけるヘラってる人の中には、嫌われる素質をたくさん持っているのに本人がそれを認めたくない人がいる。

周りから見れば、この人がどうやっても嫌われてしまうのはこの人に原因があるのになぁ。。と分かる。

でも本人は聞きたくないんよな。笑

俺もその節があるよ。笑 好かれる人間ではない。そして人になにか言われるくらいなら自分で気づきたいし嫌われたままでいい。とんでもないひねくれものだ。

ただ、ネット上でヘラって嫌われてることを人のせいにしてる人と大きく違うのは、嫌われる人間であるということを自覚しているということ。

嫌われる人間だという前提でものごとを捉えているから気をつけるべき点もあるし、調整することもある。

いくら嫌われる人間だといっても、仕事上迷惑をかけるわけにはいかないので。プライベートで嫌われる分には全然いいけど。

あと、嫌われるということは同量分、好かれる可能性を秘めているということも知ってる。嫌われる人物は異端なので、広く好かれることはないが深く愛されることはある。極稀にな!笑 

まぁ、好いてくれる相手にも最終的にほとんどの場合、嫌われたり愛想つかされてしまう運命なのだけれど。

自分を自分じゃなくしてしまえば、嫌われる度合いは減るよ。

仕事で使うのはその手だもんな。

でも人生レベルで考えると、嫌われない人間に生まれ変わるのは人生を棒に振るようなものだと思う。

人間にはもともと持った性質や後天的に身に着けた要素がある。

その要素には一長一短ある。嫌われることも必ずしも悪いことばかりではない。

世間の尺度に自分を当てはめると生きづらいけれど、一般的な幸せじゃない幸せを感じられるのも特徴。

嫌われる人間が好かれたいなら、本来の自分を殺すしかないよ。

それができないなら、一旦、本当の自分を受け入れ、等身大の言い訳のない自分自身で過ごしてみたらいい。

とことんまでやってみたら、これ以上嫌われることはなさそうだと思える。

というか、「これやったら嫌われそう。。」と思うほど嫌われないと気づく。

「そこじゃなかったんだw」っていう。笑

嫌われてると思うポイントって、本人の認識とずれてることが少なくないんよな。笑

でも何で嫌われているかって、実際に検証してみないとわからない。

つまり、嫌われる覚悟がない人は自分が嫌われている原因を突き止めることすらできないということ。

嫌われやすい性質を持っている人が、上辺だけで嫌われないように行動してるとき、特有の気持ち悪さがある。笑

これは同族嫌悪の可能性もあるけど、すぐ分かる。

「あ、これ、本来嫌われやすい人が、うまくできてると思いながら全然うまくできてなくて逆に更に嫌われるやつだ。。」って。

こざかしいというか。笑

俺自身も客観的に見てそういうとこあるんじゃないかと思う。笑

でも、それやってる時はバレてるって気づいてない!

バレてるって思ってたらやらないもんな。笑

この特有の「うまくやってる感」出してる人の気持ち悪さは、本来の嫌われやすい性質を受け入れ等身大で生きている人よりも嫌われる原因になってると思う。

皮肉なものだよね。

嫌われないようにしようとすると、本来の自分より嫌われるという。笑

なにもしないほうがマシっていう。笑

ただ、社会で生きていくには嫌われやすい人もなじまなければならないことがほとんどなので、押さえるべきとこは押さえておかないといけないんよな。

社会と関わる自分は、極力を我を出さないように心がけてる。

求められていないので。笑

我を出すことを求められていないことを強く意識することで社会とある程度関われる。

嫌われやすい人がどう生きていくか、どう社会と馴染むか、フリーランスとしてどう乗り越えてきたか、そこは語れると思う。

そんなことに興味あるマニアックな人おらんか。笑

このへんにしとこ。

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