フルーチェはお腹を壊しても食べる価値がある。

昔からお腹が弱い。バナナ、牛乳、ヨーグルト、アイス、時にはキシリトールでもお腹をこわす可能性がある。

フルーチェには牛乳を使う。

一度、もう食べられないというくらい食べてみたいな。

2個まとめて食べてもまだ食べれる!と思える。

先日、遠方に住む友人のおかげで数年ぶりに食べれた。

フルーチェを食べるくらいいつでもできそうなものなんだけど、人間の心理というのは不思議なもので目の前に売っていても買い物かごに入れられなくなったりするんよな。

絶対的な値段ではなく、相対的な値段で見てしまうものだ。

牛乳も必須ということを考えると、フルーチェの完成品と同じ量のヨーグルトなら半分の値段で変える。

非常に貧乏くさい話だけれど、崖っぷちフリーランスにとっては日常的な思考。

今現在、「ピンチ!!!」と叫んでる時よりはいいけどバイクを修理しないといけないので余裕があるとは言えない。

バイクの修理代がいくらになるか恐くて出せずにいる。笑

エンジンがいってる可能性があるので。

中古のバイクを買うことになるかもしれない。

そんな日々を送る中でフルーチェは心のオアシスと呼ぶのにじゅうぶんだ。

マクドナルドなど、まだ使っていない楽しみが残されてる。

普通の人が普通に買えるものが買いづらい立場になると、普通の人が普通と感じることさえ特別で贅沢でありがたみを感じるんよ。

これは不幸なのか、お得なのか、むしろ幸せなのかわからなくなるね。

でも一つ言えるのは、嫌いじゃないってこと。

負け惜しみじゃないよ!笑

そして現状に満足してるわけでもない。

どんなときも、どんな状況も極力楽しみ、その中で幸せを見つけながらやっていくのがいいってこと。

幸せだと思い込もうとするのではなく、わざとらしい意味ではなくて、心から湧き上がってくるもの。

これはやはり大変な時期を過ごさなければ感じられなかったと思う。

頭で理解できることと実感することは大きく違う。

実感は、しようと思ってもできないじゃん。

まさに湧き上がってくるものだから。

下も上もない絶対的な位置がポツンと存在し、その中で感じていくだけだ。

だから変な妬みみたいなものも極端に少ないと思ってる。

すごい人は積み上げてきたんだよ。

自分の現在の立ち位置は自分が選んだ結果だから他の人は関係ないもんな。

その中で、気にかけてくれる友人に心救われながら生きてる。

本当に本当に友人は少ないけどね。

数年にわたり関わり続けてくれている人がいるというのは奇跡的なことだ。

ありがとう。

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