意地悪などのちょっとした悪意が苦手。
言葉尻だったり遠回しに言ってみたり。
ひとつひとつは取るに足らないようなことでも、その積み重ねは心を壊すのに十分だ。
含みを持たす言い方をする人についても、違和感を感じたら直接「どういう意味?」と聞くことがある。
こういうことを言ってくる人って、総じてなめてる人に対してはどこまでもつけあがるから。
逆に、強い立場の人には絶対にそんなことしないもんね。
あと、昔から人の怒りの感情も苦手。
逆らえない関係性の人に何度も怒られたり、なかなか許してもらえないということを繰り返してきた結果か。
もちろん、自分が悪い部分も多かったし、相手の立場からすればなかなか許せないというのも分かる。
理解できることと反射的な恐怖にも似た感情を持つことは別の問題。
自分は人の感情を理解する能力が欠如しているのではないかと感じ、心理学の本を読みまくった。
それで表面上はカバーできていても、相手が怒っているのかどうかについて分からないことがある。
だから、怒っていないただの指摘についても判断ができない。
指摘が苦手な人の中には、これと似た感覚を持っている人多い気がする。
怒りゲージの度合いが分からない。。
怒られるのが終わってもまだ怒ってるんじゃないかとか、許してもらえたあとにすぐいつもどおりに戻ったら反省してないんじゃないかと思われるんじゃないかとか。
子供の頃の経験が大きいんだろうな。
すぐいつもどおりに戻ったら反省していないように見えるもんな。笑
でも、大人になると許してもらったあとに引きずるほうが嫌われるよね。。
わかっていても簡単に気分が切り替わらなくなった。
人を許す、許されるということについても苦手な気がする。
謝ったからといって許されないことはあるだろうし、逆もまた然りでよくわからない。
表面上、解決するために許すのだろうか。
終わらせるために。
謝っても人は許してくれない気がしてしまって。
SNSがない時代の人間の自分でこれだから、SNSで話が大きくなってしまった子どもとかマジでトラウマものだと思う。
他人の小さな悪意の積み重ねが身近になった昨今。
リアルでの経験とはまた別の辛さがあるだろうな。
多感な時期だと本当に。
自殺を選んでしまう学生がいるのは嘆かわしいけど、自分が学生で今の環境だったらと想像すると理解できるよ。
そこまで思い悩んでしまうこと。
今の自分の視点だと、学生が自殺してしまうのは本当にもったいない。
学校行かずに引きこもってもいいから死なないほうがいい。
大人になってからのほうが青春できること多かった気がするしな。
ネットがあるからこその悪意もあれば善意もあるし、ネットがあるからこその生き方だってあるんよ。
怒られることが必要以上に恐いと感じてしまう人にも道はある。
人見知りで営業なんて一切していない俺がフリーランスとして10年以上なんとか生きてこられてるしな。
人に会うのが苦手でも仕事はできる時代。
通常のコミュニケーションとビジネスに必要なコミュニケーションってルールが違う気がする。
ビジネスは極端な話、定型文で8割くらいいけそうな感じがある。
自分の短所に絶望してしまう時って、きっと誰もがあると思うけど、どんな自分でも一生過ごしていくのだから、自分で自分の心を痛めつけすぎないようにしながらうまく付き合っていくのがいいと思う。
ダメダメなとこも含め自分だと思えればいいんよな。
ダメダメなとこ以外を自分としてカウントしてしまうから、ダメダメなとこがマイナスとして積み上がってしまってしまう。
自分の内部でどれだけダメダメな部分を発見しても自分の一部と思えたなら、新しい一面を知った自分というだけの話。
ありのままの自分を一度受け入れ、否定せずに飲み込む。
どこまでも駄目な自分を一度全部把握する。
そこからできるだけ自分らしく生きられる方法を模索する。
自分の場合は、社会との対話用の自分を作ることで対応しているけれど、人によって方法は違うだろうな。
一時的にはこれでいいけれど、最終的にはありのままの自分ですべてを行えるようにしたい。
だから生き方も働き方も模索してる。
一般的な形は自分には合わないだろうから。
誰かに何かを言われなくてもいいような働き方がしたい。
指摘される必要がないような。
それができない現状や実力なら、今はありがたく現状やれることをやらせていただく。
極力、相手に迷惑をかけないように。
取引先、お世話になっている人。
関わるからには不快にさせたくない。
できるだけ穏やかに仕事はしていきたいな。
できることなら心乱されずに。
まずは自分がしっかりすることよな。
コメント