自分の「しょうもなさ」も愛す。

とてもとてもドス黒い欲望を持っていたりズルいことを考えてしまうこともあるだろう。

ちっぽけでどうしようもない「しょうもなさ」を自覚することがある。

でも、最近よく思うんだ。

どれだけドス黒い自分がいても、自分の中にどこまでも真っ白な自分がいてもいいんだと。

 

なぜだかドス黒い自分を自覚してしまうと、そんな自分に白い部分がないと決めつけたくなるんよな。

純粋な部分も善意もないってね。

酷い自分がいてもさ、真っ白な自分も存在するし存在していいんだって思うよ。

どちらかじゃないといけないなんてことはない。

 

真っ黒な自分を消すことはできないかもしれない。

だとしたら、どちらの自分も認めてしまえばいい。

誰かへのポーズじゃなくて、誰も見ていないところで様々なことに感謝する気持ちを持っていたり顔も知らない人たちの幸せを願う時、それは本当の自分の気持ちなのだと思えた。

。。って、ここに書いた時点でポーズに見えてしまうと思うんだけど。笑

いいんだ。自分の中で確信が持てたから。

誰がどう思うかじゃなくて、誰の目も考慮せずに本心で思えたならいい。

 

過去にも似たことをしたことがある。

夢を追いかけている中で、極力夢を追いかけることに時間を使いたかった。

だからいつもお金がなくてさ。

 

ある日、自分の中で疑問が生まれた。

厳しい仕事から逃げたくて夢を追いかけていると自分で自分を騙しているんじゃないかって。

そういう弱さを持ちうる人間だと自覚しているから。笑

 

だから、人生で2度、自分に絶対合わないだろうと思う仕事をやってみたことがある。

結果、合わなかった。笑

でも行動できたんだ。

そのことが今でも自信につながってる。

弱い自分でも本当にやりたくないことをやれたんだって。

二度とやりたくはないよ。笑

でも、必要なことだったんだ。

 

行動だけで推し量るのは正直好きではない。

行動したくてもどうしてもできないことがあることも知っているから。

何度も、動かないといけないときに動けなくなったことがある。

悔しさや無力さでいっぱいになって自分の小ささと未熟さを感じる瞬間。

何も言い訳なんてできない。

ただただ無力。

弱さ。

 

どんな自分も「今は、そうなんだね。」と寄り添うことにしたよ。

最後の最後、自分さえ自分を攻撃し始めてしまったら居場所なんてどこにもなくなってしまうからね。

人間関係も環境もどんどん変化していく中でさ、人に恵まれるときもあればそうじゃないときだってあるだろ?

そんな時、最小単位を「1」にしておかないと潰れてしまうよ。

立ち上がれなくなってしまうよ。

 

そして最小単位が1だからこそ、誰かが寄り添ってくれたり理解してくれた時に感謝できるんだな。

当たり前じゃないから。

最小単位に自分以外のものを含めば含むほど、おごりが生じてしまう。

少なくとも自分は。

愚かな自覚があるからこそ常に自分を見つめ直す。

 

誰かが求める自分ではなく、自分がなりたい自分になる。

きっと不格好だけれども。

 

自分のしょうもなさを愛することができれば、他人の失敗やしょうもなさもかわいらしいと思えるんだと思うんよ。

ミスはかわいいよ。

どんなときもそう感じたい。

そしたら自然に笑顔になれるからな。

そして恐くないからな。

 

おだやかで優しいのが好きだ。

気分屋で怒りっぽい自分がいうのもおかしな話だが。

無駄に気分を害したいわけじゃないんよな。

 

誰もが理不尽な扱いを受けずに願ったことが願ったように叶い、愛している人から愛され続けますように。

安全な場所でお腹いっぱいで安心して眠れますように。

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