楽しみにしていたことが面白くなくなるのは嫌だ。

せっかく楽しみにしていたのに嫌な思いをして、嫌な気持ちになって何もしたくなくなってしまうことがある。

すごくもったいないし嫌な感覚。

時には、そのことによって周りを巻き込んで嫌な気持ちにさせてしまうこともあると思う。

いつも通りなら何も不快なことなんてないのに、こういうときに限っていつもとは違うことが起きて無駄に気分を害することになるんだ。

 

昔から一度気分を害すると長い。

だから、極力不快な人とは最初から関わらないし可能なら嫌なことは嫌だと伝えるようにしてる。

難しいのは悪気なく人を不快にさせてしまう人がいるということ。

そういう人は、まるで針の穴を通すかのようにちょうど不快な言動をしてしまう。

普段なら我慢できるようなことも、楽しみにしていたことを台無しにされると、表面的には小さなことでも許せなくなってしまう。

 

こういうとき、なんとも言えない気持ちになる。

自分の器の小ささも嫌だし、不快な言動をする人にも腹が立つ。

人間だからね。

 

初対面の人ならムカつかないことでも、過去に同じようなことで不快になり「やめて。」と伝えている人が相手だと我慢できない傾向にあるな。

悪気がないと分かっていても。

 

楽しみにしていることが台無しになってしまうのは本当に自分にとってはキツイ。

楽しむために仕事を終わらせ準備を整え、いざやろう!と思ってワクワクしているからこそ。

 

なんにでも興味が持てる人間でもなければ、なんでも楽しみに思える人間でもないんだ。

楽しいと思えることは多くないんよ。

その度合いも。

なんでも深く楽しめるわけではない。

だから、どうか特別楽しみにしていることは思う存分楽しませてくれ。

 

たとえ、どれだけお金や恵まれた環境が手に入ったとしても、ワクワクできることは俺は限られてるままだと思う。

そういう意味でいえば楽しいと思う気持ちはお金では変えないんよ。

お金は楽しいことの選択肢を増やしてはくれるけど、一般的に楽しいとされているものを自分が楽しいと思えるかどうかは別の話だしね。

 

気に入ったことをなんの邪魔もなしに心から楽しみたい。

邪魔する人に対しては、俺は冷たいよ。

 

逆に、一緒に同じ目線で楽しんでくれる人は貴重だ。

一緒に楽しもうとしてくれてもアドバイスしてくる人は自分には不要だし、先回りして色々教えてくれようとする人も不要。

効率悪くても遠回りでも手探りで「知らないこと」を楽しみたい。

知らないことを楽しめるのは、知らない状態のときだけだから。

一度知ってしまうと、知らなかった頃には戻れないんだもんね。

 

楽しむことに関しては、効率なんてマジでどうでもいいよ。

義務感を感じたり効率重視でやることに自分は楽しさは見いだせない。

自由にやりたいようにやれるから楽しいんだろ。

型にはまらず、気分で思うがままにやるのが楽しいんだろ。

 

他の人の楽しみ方と自分の楽しみ方は違って当然だもんな。

誰もが、各自の楽しみ方でいい。

正解なんてないんだから。

 

とにかく、俺は自分の楽しみ方で思う存分楽しみたいので、邪魔するやつには厳しくいこ。

自分軸で生きているのは、それが許される環境を作りたいからだもんな。

誰かのルールの中では、守られる代わりに好き勝手できないので。

自分のルールで楽しみたいからなんでも自分でやる。

自分の楽しめる場所は自分で作る。

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