すでにやれる状況なのに、なぜだかやれないことってあるよね。
あ、バイクの修理のことなんだけど。笑
なんだろうな。
心理的なものなんだろうけど。
動けない。
迷いがあるからなんだろうな。
どの選択をしても一長一短ある。
こういうこと、結構ある。
やりたいことがあって、やれる状態なのに何故か動けないみたいな。
本当、なにこれ。
昔からあるんよなぁ。
「気分待ち。」って言ってる時はだいたいこれ。
様々なことがギリギリにならないと動けないっていうのもこれが原因よな。
この感覚が分からない人にとっては、本当にわけわからんと思うけど。
夏休みの宿題みたいな感じよ。
絶対早く終わらせたほうがいいのに先延ばしにするあれ。
どう考えても早く終わらせたほうがいいじゃん。
後回しにするメリットなんてほぼない。
夏休み中、時間がないってこともないじゃん。
それなのにできないのは、心理的なものだよ。
ダイエットができないみたいなのもそうじゃな。
痩せたいと思ってるしある程度なら空腹も我慢できるはずなのにできない。
これは堪え性がないというのとは別の問題だと思うんよ。
引きこもってしまう人を責めようと思わないのもこれに近い状態だと思ってるから。
出たくても出れないこともあるよなぁ。。って。
やりたい=できる ではないんよな。
やりたくてもできない、できる状態のはずなのに動けない、この理由がなんなのか、自分自身に優しく問いかけ同じ目線で考えてあげる(自分自身と考える。笑)ことがだいじ。
誰に理解されなくても、自分自身は自分自身の心の奥底を一緒に探すという姿勢。
他人に理解されないことはよくあっても、自分自身のことは自分自身が否定しない限り大丈夫だからね。
自分以外の人の行動や思考をコントロールすることはできない。
唯一、自分自身のことはできる。
ヘンテコだなぁ。。って思っても、理解されないだろうなと思っても、自分自身が理解できるならそんな心の偏りも自分らしいと思い笑える。
不器用さを楽しめる。
パズルのように時間をかけて問いていく感覚。
日常生活の中で起こる様々なことと自分の心の在り方を重ね合わせて、「こういうふうな捉え方もできるな。」とか、「これはあれに似ているな。」とか考えながら暮らす。
すべての事象は似た者同士だよな。
自分の心の中での出来事と、自分を含むこの世界の大きな大きな風景はよく似ている。
ヒントがよく落ちてる。
スーパーのレジでの出来事や、自転車に乗りながら見る風景なんかにも。
溶けて隠されているけれど、丁寧に見つけて拾い上げたら「似てるな。」と思う。
あくびをし道端でくつろぐ野良猫さんの姿にもよく教えてもらう。
大変なことがあっても自分らしさを忘れずに生きている存在は美しいしかわいらしい。
その在り方自体が種族を超え魅力となり伝わっている。
すごいことだよ、ほんとに。
バイクは気分待ち。
問題が複数重なっているからなかなか前向きになれないのかな。
お金がなくなることも恐いよな。笑
バイクの問題が解決したらやろうと思っていることが渋滞してきてる。
すっ飛ばして先にやってしまうか。。とまで考え始めてる。
本当、優先順位どうなってんだよ。笑
気が進まないなら、それもいい。
気が向くまで一緒に待とう。
今、気が向くことをやればいいよ。
そんなふうに自分と一緒に自分が生きてる。
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