いつもと何も変わらないような日こそ宝物だったんだな。

あれはいつのことだったか。。なんて振り返ることがある。具体的な年数さえ覚えていない、何月何日かなんてもっと分からない、どこにでもある、何度でもあった日常の中の一日。

自然に笑えていて、それが当たり前でさ。何も進んでいないような気がして焦燥感を感じてた。

 

何度だって繰り返せるような気がした消耗・消費しただけのような日々も、今から考えれば宝物だったんだな。

息吸ってご飯を食べているだけでも環境はそこにある。誰かとつながっていて、誰かとは喧嘩していて、誰かに好意を寄せ、一人の時間を過ごす。

その一つ一つの要素はその時にしかないんだ。

当たり前に意識せずにそこにあったものすべては1年も経てば大きく変わる。

 

こんなふうに大切に思うのに、きっとまた自分は忘れてしまうだろう。

「今」という大切さを実感し続けられることなんてきっとないよな。

よほど悲しみに打ちひしがれることや痛みを伴わないと。

想像をもとに行動はできない。

 

自分にできることは、日常の中で様々なことを想起させる出来事から丁寧に想像し噛みしめることくらいだ。

YouTubeのおすすめ動画、スーパーに行った時に見る人々の関係性、久しぶりに聴いた音楽などから「そういえばあの時。。」って。

 

「ずっと」はないんだ。

今、当たり前のように過ごしている日々を噛みしめながら生きよう。

いつか体も衰え行きたいところに行けなくなったりやりたいことができなくなる日はきてしまうんよな。

自分の思い通りに動ける間に深く深く深呼吸できるような体験がしたい。

脳内で自分の遺伝子が一度分解され再構築されるような。

 

自分の想像を超えるような感動を目の当たりにしたい。

きっとそれは特別な場所にいかなくてもできることもある。

自分が動ける範囲でも十分起こりうる。

 

もちろん、特別な場所に行けたならそれはすごくいい。

大切なのは現状に悲観しないこと、現状を言い訳にしないことだよな。

どんな時も、今できることはある。

 

いつでも心だけは自由に。

何をやってもいいしどこに行ってもいいんだ。

何にも縛られる必要はない。

そのことを忘れずに。

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