ネガティブなプラスの価値。

一般的にネガティブな人って嫌われがちだよね。でも、ネガティブな人にすら価値というものはちゃんと存在してる。

助けてもらったことで喜びを感じる人もいれば助けることで喜びを感じる人もちゃんとおるんよな。

助けられてばかりの人からすると申し訳ない気持ちでいっぱいになるだろうけど、世の中捨てたものじゃないと何度も感じた。

 

どちらかというと、俺は助けてもらってばかりの人間なので、自分の立場でいうと変な感じになるんだけど。笑

けして、助けられていることで価値を与えている!と思っているわけじゃないよ。笑

俺の場合は、単純に生きるのが下手なだけであって、できることなら助ける側に回りたいのにうまくできてないだけなんよ。笑

 

その前提で書くけど、人を助けることで自尊心が満たされる人は、世の中に困っている人がいないと自尊心を満たすチャンスがなくなってしまう。

だから困ってる人にも実はちゃんと価値は存在してるんよね。

 

その理論でいくと、どんなネガティブな人にも価値が存在するということになる。

対となる立ち位置で価値を感じる人が存在するから。

共依存の人たちとか、まさにそんな感じよな。

お互いがお互いに依存し、ネガティブな状態だとしても成立してる。

いいか悪いかは置いておいて。

すくなくとも、本人にとっては必要なわけで。

 

無価値感に苛まれてしまった時、自分の価値なんて考えなくても生きているだけで勝手に相手が価値を見つけてくれるもんだ。

存在を知られていなければ価値を見つけてもらえる以前の問題になってしまうけれど。

 

こじらせすぎなければいいんだと思う。

人を心から心配して手を差し伸べようとする人にも限界はある。

 

人に心配してもらっているという実感ですら自分自身の価値を感じられなくなり、不安になった時に思ってもいないようなことを口走って心配させてどれだけ大切に思ってもらえているか測ろうとする行為。

これだけは禁じ手だと思ってる。

本当にこれだけは、どう考えても最後はよくない結末が待っているから気をつけたほうがいいね。

 

どうしてかというと、最初は本当に心配している人も、何度も繰り返しているうちに効果は薄まっていくからなんよ。

そしてエスカレートする。

最初は本当に心配していた人も疲弊するし、そもそも心配する必要がない人なんだと気付いて離れて行ってしまうんよな。

このタイプ、何度も見てきた。

いわゆるメンヘラと呼ばれるタイプ。

 

とはいえ、本人も苦しいんよな。

これやっちゃって人が離れてしまった人を何度も見てきてさ、見てるこっちも苦しくなっちゃって。

でも、最終的には嘘ついてまで心配させようとするから一種の病気なんよな。

 

親切な人を不親切にしてしまうのはこういう人でもある。

本当に困っている人には結構手を差し伸べてくれる人っているものだと思う。

 

どうにか、どんな人も幸せに生きていけないかいつも考えてみてる。

でも、しょうがない人っておるんよ。

自業自得というか。

何もしなければ幸せになれるはずなのに、本人の行動や言動のせいで台無しにしてしまう。

 

本人が一番苦しいはずだけど、「こうしたらうまくいくと思うよ。」というアドバイスまで不要と言われたら何も言えなくなるもんな。

どうにかしようと実践してみてる人には寄り添って一緒に試行錯誤してくれる人が現れる。

 

俺の場合、好きなようにやりたいからアドバイス不要!と言い切っちゃうけど、うまくいかなくても誰かのせいにはしない。

その結果、ピンチになって泣きそうになって一人でギャフン!と言ってる時がある。笑

本当自業自得。笑

でも、それでも自分らしいと笑えればいいんよ。

笑えずにすべてをなにかのせいにして自分は不幸だ。。と思う人は不幸になるだろうな。

 

そこは性格なんかもね。

我が道を行くからといって必ずしも嫌われるとは限らない。

人に合わせても好かれるとも限らない。

そんな世界の中で、どういうバランスでどういう立ち位置で生きていくかは自分で決めるしかないんよな。

 

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