「孤独」も遺伝子に含まれているのかな。

もともと持った性格によって人との関わり方ってある程度決まる感じあるじゃん。もちろん、後天的に身につけるコミュニケーション能力である程度カバーできるわけなんだけど、そうしたいかどうかはまた別の話になるよな。

 

孤独は遺伝子に組み込まれているような気がしてね。そうなるように仕向けられているというか。自分自身のことなので、仕向けられているという表現はおかしいのだけれど。

運命というものがもしあるとして、こういう仕組みならありえるなぁって。決まっているものではないしコントロールできるものだけれど、大筋こういう方向に進むよね。みたいな。

 

それを受け入れるのも抗うのも自由で、実際、ある程度抗えるもののような気もしてる。ただ、孤独という話でいうなら、もともと愛される素質を持っている人とそうじゃない人では、運命を受け入れて愛されている状態と抗ってギリ愛される状態では意味合いも違ってくるのかなって。

 

そして孤独かどうかは必ずしも幸せかどうかを決定づけるものではないとも思う。時々、どうしようもなく寂しい気持ちになることがあっても、基本的には幸せという人もいるだろう。

たくさんの人に愛されても本心を打ち明けられなかったり、愛されすぎる故にトラブルに巻き込まれて不幸になる人もいるだろう。

 

どちらの運命も一長一短あるよな。嫌なら抗えばいい。総合的に見て納得がいくなら受け入れればいい。全く欠点のない人生というのは目指したくなってしまうものだけれど、不可能な前にもしかしたらとても味気ないものなのかもしれない。

味気ない人生は、孤独よりも寂しいのかもしれないね。ふと、そんなことを思ったんよ。

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