「何やろうかな。」と思えるのは余白があるからなんよなぁ。

いっぱいいっぱいの時って、ただただフラストレーションはたまるけど何もできない。余白がないからだ。

だんだんと何かしよう、何かしたいという気持ちも失われていくそれが一番危ないと思ってる。

自然にワクワクした気持ちが湧き上がらなくなってしまった時は、一度立ち止まってゆっくりお風呂に入ったり好きなことをしたりたくさん眠ることも大切よな。

「自分」を酷使することだけがすべてじゃないし、自分でいる今この時もまた自分の時間なのだから。

「明日は何やろうかな。これがやりたいな。」と思えることは幸せなんだ。何やろうかという発想すら失われてしまった時、だんだんとどう生きたらいいかすら分からなくなってくるんよな。

呼吸の仕方が分からなくなっていくような感覚。

自分らしくいられたなら、少々お金がなくても時間がなくても笑える。「今の状況ウケるw」って。その次に、自分らしくいさせてくれてありがとうという気持ちが生まれる。

だからやっていけるんよな。自分らしくいさせてくれてありがとうというのは、周りの人に対してもそうだし過去にお世話になった人にもそうだし現在の環境にもそうだし、自分自身に対してもそう。

自分らしくいることに関して自分にも感謝するって変な感覚かもしれないけど、自分らしくいることを許可しているのもまた自分だからな。

俺の場合は子どものような自分と社会的な自分を分けて考えてる。

子どものような自分のワガママを大人のような自分が許容し叶えてあげているという感覚。そうしてあげたい、そうしてほしいという感覚。

そしてどんな時も味方でいると決めてる。誰に理解されなくても誤解されても、自分自身は自分自身を誤解することはないもんな。そのうえで反省し成長する。

自分が自分のアンチになってしまったなら起きている時間ずっと、場合によっては夢の中でまでアンチ活動できてしまうんよ。笑

逃げ場のない自分自身の言葉が一番効くからな。笑

弱いとこをピンポイントでえぐれるわけだから。

社会の中で「普通の人」のふりをするのは大人のような自分の役目。

これもまた、生きていく中で少なくともまだ必要なこと。

切り分けなければ心がもたなかったんだな。

誰と喧嘩しても縁が切れても、自分自身とだけは仲良くしようと思ってる。

周りからすると滑稽でなんかめんどくさくてウザいだろうなぁと思いながらも、それでも自分にとっては今のところベストな考え方であり自分自身との付き合い方だ。

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