一番良いと思った方法で表現するということ。

写真を加工する際に、写真の比率に悩む。

インスタにアップするならせい方形がいい。

他の比率もできるけど気持ち悪く感じてしまって。

16:9だと動画に使いやすいし9:16だとショート動画に使いやすい。

映画のような比率やブラウン管テレビのような比率もレトロな表現をするのにはいいけど扱いづらい。

この「扱いづらい」という感覚は、表現において邪魔だと思った。

だって、好きなように表現したらいいのに完成して投稿することから逆算してるのがナンセンスじゃん。

表現することが結果であって、投稿することが結果ではないよ。本来。

そういう無意識な自分自身のブロックを見つけて、より柔軟にしていく作業は必要。

駄目だと決めているのは自分自身なのだから。

どんなふうに表現したっていい。

良し悪しなんて、自分の表現においては自分だけが決めればいいのだから。

そこも人によるか。

他人に評価されることを目的としているか、自分の奥底にある表現を実現するか。

俺にとっては表層的なことに興味はない。

より深い自身の探求。

表現という方法を使い、深層にダイブする感覚。

そこから引っ張り上げてきたものを、言葉やイメージにならないものを形にする作業。

暗闇の中、目が慣れてきて初めて見える立てかけられたキャンバス。

目を凝らして補完しながら描きあげていくような。

そんな作業。

現実の世界で目を開けているのに、まぎれもなく「没入」しているあの感覚。

正解のないものに自分の「好き」を照らし合わせ正解を創り上げていく。

終わるタイミングも自分次第。

どこまででもやれてしまうけれど、やはり感覚的に終わりはくるんよな。

この終わるタイミングも本当に面白い。

完全に感覚なので、自分でもなんでこれで終わりなんだろうとよくわかんなかったりする。笑

でも、確実に終わりだと分かる。

生活を維持するために、お金にならないことから遠ざかっていってしまっていた。

本当にやりたいこととお金を生み出せるかどうかは本来関係ないでしょ。

表現って、圧倒的に時間と労力を使って割が合わない、それでもやりたいと感じられるもの。

自分の状況によっては、表現することで自分の生活を破綻させてしまう、そんな危うさもある。

特に自分の場合は、一度やり始めてたら他のことが考えられなくなるので無意識にやめてたんだろうな。

余裕がないと創作意欲が湧きにくくなったり、湧いても罪悪感が生まれるのはこのことからか。

文章で、画像で、動画で、どんな方法でもいいから自分自身の奥深くにある感覚を表現したいといつも思ってる。

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